片岡嶋之亟、私の生い立ち 第5回



 <如月について>

 先祖はともあれ、没落した加賀屋の栄光を引きずることなく、祖父母が一代で起したのが如月旅館でした。子どもの頃、如月という馴染みのない言葉が旅館の名前になっていることが不思議で仕方が無く、それが二月の別名であることを知ると、祖父の亀蔵の亀はお正月に縁があり、祖母の弥生は三月だから、二人の間をとって二月にしたのだと、幼児の頭で勝手に思い込んでいましたが、実際は全く違ったようです。祖母が「きさらぎ」という言葉の響きを好んで旅館の名前にした、というのが本当の理由のようです。旅館のマッチには二月の花、梅がデザインされていました。今の私は歌舞伎の常磐津舞踊「将門」に出てくる平将門の娘、滝夜叉姫がやつしている傾城の如月を思い浮かべてしまいます。「わたしゃ、都の島原で、如月という傾城でござんすわいなァ。」差出しの和蝋燭の薄明かりに照らされながら、すっぽんを上がってくる、如月じつは滝夜叉姫の、金糸の縫いに包まれた花魁姿のおどろおどろしく、古風な存在感。その役のことを思っただけでわくわくドキドキとする、何ともいえない魅力を感じます。私が歌舞伎を愛する理由の一つに入る存在感です。祖母が歌舞伎の如月を知らなかったとは思えないので、旅館の名前と関連があるのか聞いてみたい思いにかられますが、私が歌舞伎役者となった次の年に他界していますので、今となっては聞くすべが有りません。でも知的好奇心が人一倍強く、芸事も好きだったと聞いている祖母の答えはなんとなく判る様な気がします。そういえば私が新劇を始めた頃に、間人で三味線をいじっていたら、黙って聴いていた祖母が穏やかな笑顔で一言、「持っていっていいよ。」と言ったのを思い出しました。私は嬉しくて仕方が無く、京都市内の自分の部屋に持ってかえると、何とかうまく弾けるようになりたいと練習していましたが、自分が昔弾いていた三味線を私にくれた祖母はその時どんなことを思っていたのでしょうか。素晴らしいお師匠さんに恵まれ、長唄の三味線がそれなりに弾けるようになった時、私が歌舞伎に入門して次の年に亡くなった祖母に聴いて欲しかったなと思いました。



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