片岡嶋之亟、私の生い立ち 第13回



 <当時の子どもの楽しみ>

 思えば今の子供の遊び方とは随分違う遊び方をしていたものです。子供たちが楽しみとしていることも今とは全然違いました。当時は未だTVがなかった時代で、娯楽というものが少なく、子供たちの楽しみは、チャンバラ映画、紙芝居、貸し本屋、駄菓子屋通い、ポン菓子、ちんどん屋などでした。
 私が夢中になったものは何と云ってもチャンバラ映画でした。少し離れた映画館に連れて行ってもらって見ていたのですが、夏などは近所の空き地に丸太を立てスクリーンを張って日が暮れてから上映されることもありましたし、妙心寺などのお寺の広間での上映会というものもありました。赤胴鈴之助のシリーズの何本かは妙心寺で見たと思います。子供たちは映画を見るごとに新しいバリエーションでチャンバラゴッコをしていました。そしてチャンバラ映画のヒーローが印刷されたメンコが印刷されたメンコ集めに夢中になっていました。
 今ではほとんど姿を消してしまった紙芝居屋も、当時の子供たちの楽しみの一つでした。自転車の荷台に紙芝居の箱とお菓子をいっぱい積んで、ひと月に何度か近所の空き地にやってきました。拍子木の音が聞こえてくると、子供たちはお小遣いを持って集ったものでした。紙芝居屋のアンズ飴などの駄菓子は不衛生という理由で親からは買ってはいけないと禁止されていましたが、お菓子を買わないで見ていると「只見は駄目だよ!」と、紙芝居屋の小父さんに怒られるので、罪悪感を感じつつ、たまにお小遣いを使っていました。形を抜くとおまけが貰える、透明な薄い飴の型ぬき、割り箸の先に付けた水あめなど、幾分清潔そうな感じのするものを選んで買い、紙芝居を楽しんでいました。チャンバラ映画と同じストーリーも多かったのですが、今のアニメーションと同じように、実写の映画では出来ないような展開もあり、子どもたちは小さな厚紙の世界の中に吸い寄せられるように真剣に見入っていました。紙芝居は学校でも使われていました。学校の紙芝居は童話が多く、どちらかというとほのぼのと楽しいものでしたが、紙芝居屋さんのものは、劇画やチャンバラ映画からとった作品が沢山あり、ワクワクドキドキ興奮するという子供心を刺激する魅力に満ちあふれていました。東京下町には紙芝居屋さんが昔実際に使っていた紙芝居をたくさん収蔵している図書館があります。数年前にその図書館へ行っておびただしい数の紙芝居を前にしたときは本当に懐かしく、しばしタイムスリップしたような気分で眺めました。大阪の周辺都市でNPOの活動に紙芝居を使うという話を聞きましたが、紙芝居で育った世代としては、コミュニケーションの手段としてブロードバンドのようなデジタルの通信だけではなく、紙芝居のようなアナログの方法も活用されれば嬉しいですね。



第12回へ    第14回へ
プロフィールに戻る